[Meet the Pioneer / 80年代当時のEYEVANを知るパイオニア] Interview with Doré Chodorow

80年代中盤、オリバーピープルズ創設当時の
経営を担ったドーレ・チョドロー。
現在はロサンゼルス郊外の湖のほとりに
ひっそりと暮らす彼女に、〈EYEVAN〉との
出会いについて尋ねた。

日本のものづくりを視野に入れた店づくり

私たちが〈オリバーピープルズ〉のショップをオープンする以前に、弟のデニス(*デニス・レイト。〈オリバーピープルズ〉創設メンバーのひとり。ドーレの実弟)がこう言いました。「ほかの誰よりもずっと進んだ、素晴らしいフレームを作っている人たちがいる。品質は優れていて、ほとんどが日本製なんだ」。品質が本当に突出しているので、日本も視野に入れなければいけない、と彼は言いました。そこでアイウェアの展示会に出かけて、日本のものづくりを調査したのですが、そこで〈EYEVAN〉に出会いました。そのブランドはまだ世界でその名を知られていませんでしたので、ひとつの美しいストーリーとなったのです。

もしあなたがオプティシャンでしたら、そのフレームを手にしただけで品質の高さがわかると思います。質の高い優れたフレームは調整するのも扱うのも簡単なのですが、〈EYEVAN〉のフレームはまさにそういうものでした。ですから、この会社が素晴らしいということは明らかでした。これから出すプロダクトを一緒に作りたいと感じて、〈EYEVAN〉との仕事を始めましたのよ。それはすぐに素晴らしいパートナーシップになっていきましたわ。

ドーレが若かりし頃、日本へ訪れた際の1枚。

世界のアイウェアの潮流を変えたプライド

〈EYEVAN〉は〈オリバーピープルズ〉とともに仕事ができるように、デザインチームをロサンゼルスに送り出しました。デビューコレクションとして、最初に〈オリバーピープルズ〉がデザインしたのは、EYEVAN“0505”と“0506”というフレームが原型です。シンプルに2つのデザインと5つのカラーでスタートしました。

その当時、すてきなフレームを作っているのはフランスとドイツでした。悲しいことに、そのころ質の高いハンドメイドのフレームを作っている会社はアメリカにはなかったのです。だから、品質と職人技は、私たちにとってとても大切でした。当初から私が引退するまで、そのプロダクトはずっと色褪せませんでした。私たち双方にとって品質は常に重要でしたので、〈EYEVAN〉とともに成し遂げた自分たちの仕事をとても誇らしく思いましたわ。

サンセットストリートにショップをオープンしたとき、〈EYEVAN〉のその2つのフレームとともに、ヴィンテージアイウェアの一大コレクションを並べました。私たちが販売していたのは、ジョン・レノンのようなヴィンテージ感のあるスタイルのメガネです。〈オリバーピープルズ〉のデザインチームが、30~40年代に作られたたくさんのオリジナルのヴィンテージフレームを買いつけたのです。アメリカでものづくりがされていた時代の素晴らしさを象徴するものですわ。

ショップをオープンした瞬間、たくさんのセレブやハリウッド映画界の関係者がショップを訪れ、すべてのアイウェアを買っていきました。すぐに私たちのプロダクトは、想像しうる限りの映画や雑誌の表紙を飾るようになりました。すると、もっと多くの人がショップを訪れ、私たちのプロダクトを欲しがるようになったのです。実際、私たちは世界におけるアイウェアの方向性を変えたと思っています。

Doré Chodorow ドーレ・チョドロー
80年代半ば当初、米・ロサンゼルスのアイウェアカンパニー「オリバーピープルズ」の代表取締役を務めた。ケニーと並び、当時の〈EYEVAN〉を熟知する貴重な存在。
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